郵便配達は二度チケットをもぎる

演劇未経験者が、駄文をこねます。

「サマータイムマシン・ワンスモア」感想:ヨーロッパ企画

史上最高の「2」かもしれない

f:id:mAnaka:20180910132135j:plain★★★★★★★★★★ 10点

あらすじ

タイムマシンが現れた「あの夏の日」から、15年後。
SF研究会の元メンバーたちと、隣のカメラクラブの部員たちは、再びこの部室にやってきた……。

三十路を過ぎたSF研のメンバーが2018年にカムバック。同窓会のついでに寄った部室には現役の聡太(SF研)と箕輪(カメラクラブ)の現役生の姿が。そんななか、タイムマシンと共に田村くんが登場します。2028年に戻る予定が10年ズレて2018年に戻ってきてしまいます。10年ぶりのタイムマシンに興奮するメンバー。タイムパラドックスを恐れる小暮をよそに、過去を変えない程度にタイムマシンを楽しむことが決まります。当然、そんなうまくいくワケもなく…。

<ネタバレ>より複雑に、より深く

今回はタイムマシンが3つ登場することでより複雑なタイムトラベルになっています。「2週間前にレポートを提出しにいく現役組」
「2004年に感光したフィルムを取り返しに行くカメラクラブ組」
「2004年の学祭にレディー・ガガを見に行くSF研のズッコケ3人組」
の3組が同時にタイムトラベルし、その行方が複雑に絡み合ってきます。

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さらに、今回は現代(2018年)でもストーリーが展開。同級生の蛭谷が、大学を潰してショッピングモールを建設する計画を進めていることが分かります。2018年に残った甲本小暮は、過去で暴走するメンバーを止めつつ、蛭谷の計画の阻止を同時並行で行うという無理難題に立ち向かいます。

物語の流れが4つも同時並行しているため、混乱しそうなものですが、そこはヨーロッパ企画。さすがの構成で、なんのストレスもなく観劇することができます。会場でも常に笑い声が絶えませんでした。

さらに、ここに「サマータイムマシン・ブルース」をオマージュしたネタがこれでもか、と展開されていきます。
※「ヴィダルサスーン窃盗事件」「カッパ伝説」などなど

最終的に、小暮蛭谷は大学を救うために2015年に戻り、そのまま3年間過ごした後、2018年に合流する計画を立て、どうにかショッピングモールの建設を阻止します。しかも、田村くんのお父さん(つまり柴田の旦那)が過去に戻った現役生・聡太だったことが判明し、すべてが丸く収まります。

完璧に伏線を回収し、幕が下りるかと思いきや、現役生・箕輪がコーラをリモコンにこぼしてしまいます。案の定、リモコンはこわれて動かなくなる。このままでは2028年の田村くんたちにリモコンが繋がらない…。

そこで甲本が一言。「小暮、お前タイムマシン作れる…?」

さらなる続編だってアリ得るかも、という匂いをさせながら舞台は終わります。

サマータイムマシンの凄さ

タイムトラベル×コメディとして完璧な構成を持つ「サマータイムマシンシリーズ」ですが、なにがそんなに凄いのか?その一因として、「自力で帰ってくる」という発明があると思います。つまり、過去から帰ってこれなくても、現代までの時間を過ごして、合流するという最終奥義。これが成立してしまうと、タイムトラベルが持つハラハラ感がなくなってしまうという反則技です。

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しかし、これをうまく物語に取り入れ、サイコーのスパイスに仕上げています。「サマータイムマシン・ブルース」では甲本が“1日”自力で帰ってきましたが、これが「ワンスモア」では、“半年”にも“3年”にもなり、よりダイナミックなシカケになっています。
この大技も、登場人物たちがオトナになっているから可能に。大学生にとって“3年”を追加で過ごすのは非現実的ですが、オトナの彼らにとっては耐えられるものになっています。この辺りのさじ加減も絶妙です。

 

舞台自体が「タイムマシン」として機能してしまっている側面もあるかと思います。再演を見ていると、否が応でも初演を見た頃の自分を想像してしまいます。舞台が「ブルース」から「ワンスモア」に進化したように、自分も成長できているでしょうか?

いつかまた、再演&続編をやってくれることを期待せずにはいられません。またタイムトラベルして、いまのことを思い出したいものです。その感覚を味わうためにも、絶対にお見逃しなく!

 

サマータイムマシン・ブルース」の感想はこちら

theaterist.hatenablog.com

 

サマータイムマシン・ブルース」の脚本はこちら
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瑛太主演の映画はプライムビデオで見られます。
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「サマータイムマシン・ブルース」感想:ヨーロッパ企画

傑作におじさんの悲しみを加えて。

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★★★★★★★★★☆ 9点

あらすじ

夏、とある大学の、SF研究会の部室。
SF研究を一切しない部員たちと、その奥の暗室に居をかまえる、カメラクラブのメンバーたち。
そんな日常に、ふと見ると、部屋の片隅に見慣れぬ物体。
「これってタイムマシンじゃん!」どうやらそれは本物。興奮する一同。
先発隊に選ばれた3人は早速タイムマシンに乗り込み、昨日へと向かうが…。

映画化もされたヨーロッパ企画の傑作です。13年ぶり再演ということもあり、当時若かったメンバーも完全に“おじさん化”…。代表の上田誠は「演劇の嘘」なんて言っていましたが、むしろ哀愁があり、より“ブルース”になっていた気がします。

<ネタバレ>タイムマシンがもたらしたモノ

物語はタイムパラドックスを絡めた、大学生のドタバタ劇。

突然タイムマシンを手に入れたSF研のメンバーは、壊れてしまった「エアコンのリモコン」を手に入れようと、昨日へと向かいます。首尾よくリモコンを手に入れるも、過去を変えてしまうことで、現在の自分たちが消えてしまうというパラドックスに気づき、リモコンを戻そうとします。そこに「ヴィダルサスーン窃盗事件」「カッパ伝説」などの伏線が絡んで…というのが大筋です。

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 もう一つの軸が、甲本と柴田の恋。甲本は柴田に片想い中。しかし、その淡い恋はタイムマシンのせいで脆くも打ち砕かれてしまうのです。

タイムマシンをSF研に持ち込んだのは、25年後のSF研部員である田村くん。この田村くんがドタバタ劇の元凶なのですが、ひょんなことから田村くんが柴田の子どもであることが判明します。つまり、柴田は「田村」という名字の男性と結ばれたことが示唆されます。

うなだれる甲本ですが、タイムパラドックスを乗り越えて、未来を変える決心をするシーンで幕が下ります。

「名字って変えられるんかな?」と。

再演の意味

元旦のカウントダウンイベントで再演の発表があってから、なにかと話題になっていたこの舞台。登場人物と、演者たちの実年齢とどんどん乖離していくため、再演はないと言われていました。しかし、おじさん達が演じる大学生も、なんとも味わい深い…。

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特に甲本の最後のコトバには、これまでにない哀愁が漂っていて、グッときます。

この15年後を描く「サマータイムマシン・ワンスモア」を見てから思い出すと、また違った味合いになるのでしょうか。今から楽しみです。

 

サマータイムマシン・ブルース」の脚本はこちら
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瑛太主演の映画はプライムビデオで見られます。
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「ロリコンのすべて」感想:ナイスストーカー

ロリコンとは切ない生き物である。

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★★★★★★★★☆☆ 8点

あらすじ

担任教師の坂倉に想いを寄せる11歳の少女・白勢。坂倉はその想いを拒絶し続ける一方で、彼女の裸の写真を隠し持っていた。誰にも明かさずにいた、ロリコン教師の罪の告白。遠い未来、砂の中から発掘された彼の手記を読んで、考古学者達は何を思うのか…。

ロリコン教師の手記が、遠い未来に発掘され学術的に研究されるハメに。ただし、手記の内容に曖昧な部分が多く、数々の解釈がなされます。一番の論点になっているのは手記に収められている「裸の少女の写真」は一体だれなのか?その検証を行うために、手記を演劇として再現しようという試みが始まる…。

という、劇中劇の複雑な構造をしています。
ロリコン」という概念を生み出したウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』も、主人公が獄中で記した手記という体裁を取っているため、本作もそれに倣っています。

構造は複雑ですが、あくまでも焦点はロリコン教師・板倉と、少女・白勢の恋物語。(これは『ロリータ』も同じですね)

<ネタバレ>救えねぇな、このロリコン野郎!

劇中劇のため、場面や登場人物が入り乱れるのですが、板倉と白勢に絞って見れば、単純な(?)恋物語です。

一貫校の高校教師だった板倉は、たまたま教科担当として小学生も担当することに。そこで当時小5の白勢に出会い、恋に落ちます。白勢も板倉を愛しています。
そんななか、ひょんなことから板倉は着替え中の白勢を覗いてしまいます。そして、あろう事か、その一糸まとわぬ姿を写真に収めてしまいます。これが、問題になっている「裸の写真」。

そんなこんなありながら、一貫校ということもあり、中学〜高校と白勢と板倉の微妙な関係は続いていきます。

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そして白勢 高3の冬。明日18歳を迎え、ついに二人が付き合うことが「合法」になるタイミングです。白勢は改めて板倉に気持ちを確かめますが、板倉は相手にしません。あくまでも教師と生徒であると建前を述べますが、ロリコンの板倉には18歳は対象外…。白勢はそれに気づき、板倉の前から姿を消します。

しかし、板倉はようやく自分の気持ちに気づきます。ロリコン・板倉としては、いまの白勢は愛せないが、人間・板倉としては白勢を愛している。そんな単純なことに気づけなかった板倉は、白勢を傷つけた自分を呪いながら、白勢を探し出します。

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自分の気持ちを率直に伝える板倉。「いまの白勢は、自分の愛した白勢の残りカスでしかない。でも、愛している」と。しかし、そんなことを受け入れるには、白勢は若すぎました。これから明るい未来がある18歳の少女なのです。

「救えねぇな、このロリコン野郎!」と叫びながら、板倉の胸に飛び込む白勢。これを最初で最後の抱擁として、二人は別々の道を歩むになります。

まさか「ロリコン野郎」というセリフに、ここまで目頭が熱くなるとは…。

その後、板倉は教師を辞め、ビッチ系の女子と付き合います。相変わらずのロリコンっぷりを発揮しながらも、人間・板倉として女性を愛することを改めて誓うのでした。

切なすぎるロリコンという構造

ロリコンという悪のレッテルを貼り、見ないようにすることはとても簡単。しかし、ちゃんと向き合うことで、その裏にある物語をあぶり出すことができる。

一人の少女を愛し、その少女と結ばれるため時間を積み重ねていっても、自分の愛した「少女」ではなくなってしまう…。ロリコンは構造上、絶対に幸せになれない人種なのです。これは、フィクションでしか描けない真理だと思います。

板倉は最後のシーンで白勢に「裸の写真」を返そうとします。しかし、その写真はブレブレで肌色の塊でしかなかったのです。そんなモノを大切に持ち続けていた板倉。少々歪んではいますが、白勢を愛する気持ちはホンモノでした。

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現在、ロリコンはNGとされています。

ロリコンはNG。
ロリコンを描くこともNG。
ロリコンを描こうとすることを、描くのは…?

ロリコンを題材にすると、こんな禅問答的な問いに立たされることになります。この舞台の複雑な構造も、こんな問いから出発しているのではないでしょうか?

 

ロリコンというと、すぐに「VS.表現の自由」なんて話になりがちですが、ロリコンに真摯に向き合うことで一つの真理を見せてくれた怪作です。また再演してくれることを願って…。

 

この舞台の台本はKindleでも読むことができます。
↓↓↓

『「 」』感想:エンニュイ

言葉が脱色される瞬間

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あらすじ

突然流行りだした言葉を失う奇病。
最終的には存在が消えてしまうという…。

こんなイントロダクションから始まる舞台ですが、この病にフォーカスするかと言えば、そんなことはありません。むしろ、こんな病気が流行っている中でも、当たり前に繰り返されている日常に焦点を当て、その本質をあぶり出そうとしています。

舞台となるのは、「IT系の小さな職場」「オカルトサークル」「動画配信者」など、“言葉”の存在が比較的大事な空間。登場人物たちは、そこでコミュニケーションを取ろうとするのですが、ズレるズレる…。

<ネタバレ>言葉が行き場を失った先に

場面はコロコロ切り替わり、ストーリーは安定しないのですが、常に共通しているのが「伝わらなさ」。

職場では、上司-部下の思いはズレ。
オカルトサークルでは、常連-新入りが噛み合わず。
ネット上では、配信主-視聴者のやりたいコトは乖離していく。

登場する人々は、言葉を失っているワケではないのに「伝わらない」。これは、舞台上に限らず、見ている自分たちにも矛先が向いています。

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登場人物たちには、「子どもが生まれる」「母親が死ぬ」など人生の一大事が降りかかるのですが、そこで発せられる言葉も宙を舞う。

グッとくる言葉も、うわさ話も、与太話も、嘘も、すべてがフラットになり、上滑る。
言葉も、歌も、ラップも、能も、伝わらない。

それでも「関係欲求」を持つ登場人物たちは、叫び続けるしかない。

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ラストの場面では、それぞれが語っていた言葉を、別の人間が語りだします。ここで言葉は完全に脱色されてしまいます。「言葉を失う奇病」とは、こういうことなのでしょう。

彼らはペンライトを持って、語りかけます。ペンライトは、言葉の向かう先を照らしているはずです。しかし、その光は、虚空を、壁を、自分の口元を照らすだけで、他人に向かわない。ここでも「伝わらない」絶望が表現されています。

キレイな光の点滅と、そこに横たわる恐怖を感じながら、舞台は幕を閉じます。

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書きぶりが怖くなってしまいましたが、お笑いコンビのメンバーとしても活動されている長谷川優貴さんが脚本をされているため、随所に笑わされる場面も散りばめられています。

どこか幻想的なのに、笑える。怖い話なのに、クスクスする。なんとも不思議な舞台でした。

「蛸入道 忘却ノ儀」感想:庭劇団ペニノ

演劇的トリップのお祭り

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★★★★★★★★★☆ 9点

あらすじ…と言うか概要

まず、控室のようなスペースに通され、そこで御札に名前と願いを筆でしたためます。

その後、スタジオに案内されるのですが、舞台はお堂。舞台上にお堂が再現されているわけではなく、部屋全体がお堂になっています。座席は指定されておらず、各々が好きな場所に腰をおろします。入り口では“経本”と“楽器(鳴子や鈴)”を渡されます。

まるで宗教儀式に巻き込まれたような気持ちで開演を待つのですが、まずは主宰のタニノクロウが説明を行います。

この舞台は、
・“経本”に記載されている第十六節の内容に従って展開される
・“楽器”は好きな時に鳴らしてOK
・舞台中央に設置された護摩壇には火が付き、部屋はどんどん暑くなる

という、およそ演劇らしからぬ注意が促されます。

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曰く、「タコは、心臓が3つ、脳が9つある」高度な生物であり、その進化の過程はいまだに謎が多いのだそう。いつか、人間とタコがひとつの生命体に近づいていくのではないか?そんな不気味なことを言いつつ、タニノが退場。いよいよ儀式が始まります。

<ネタバレ>なにを“忘却”する儀なのか?

お堂の真ん中に、赤い服を来た演者たちが登り、第一節から始まっていきます。観客たちも“経本”をめくりながら、時に読経し、時に楽器を鳴らし、儀式に参加します。途中で、板を取り付けたり、水が配られたりと、もはや自分たちが観客であることは、忘れ去られていきます。

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儀式は時間が経つに連れ、どんどんエスカレート。護摩の煙を吸い込みながら、楽器をかき鳴らす姿は、完全にトランス状態。部屋の暑さ・匂いを観客もダイレクトに感じるため、そのトランス状態は他人事ではなく、こちらもドキドキしてきます。“経本”の内容も意味不明な銀紙だけのページが続いたり、頭で理解することを放棄せざるを得なくなります。いよいよトランス状態が限界に達した時、演者たちはおもむろに退場。ふっと我に返され、圧倒的な舞台芸術のなかに取り残されるのでした。

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まず、観客を没入させるシカケの数々に圧倒されるのですが、なかでも“経本”の存在がピカイチでした。アイテムとして面白く、舞台を円滑に進める要素が大きいのですが、「第十六節」で終わると明示していることも重要だと感じます。ほぼストーリーがなく、淡々と進む儀式のため、終わりが見えないと正直見ていられない気がします。「これがいつまで続くのか…」が気になり舞台に没入しきれなかったかなと。

 

通常、演劇は観客に2つの視点を持たせることになります。例えば「100年後の未来」を描いた作品の場合、①「100年後の未来」を描いた舞台を観る観客としての視点、②「100年後の未来」のなかで動き回る登場人物の視点、が存在することになります。
しかし、この「蛸入道 忘却ノ儀」に関しては、観客固有の1つの視点しか存在しません。そう言う意味で、とても“反・演劇”的だと感じつつ、演劇を見ていることを“忘却”するという観劇体験は、ある意味“究極の演劇”だとも思います。

たまたま水がドバドバかかる場所に座っていたのですが、終盤「水をかけられる」ことを観客としてではなく、この儀式に参加する人物として受け入れていました。友人と観劇していたのですが、これは一人で参加した方がより恐ろしい体験だったかと…。

 

岸田國士戯曲賞を受賞した直後に、こんな演劇をブチ上げてしまう変態性に感動しつつ、ペニノからいよいよ目が離せなくなってしまいました。

 

岸田國士戯曲賞を受賞した「地獄谷温泉 無明ノ宿」の戯曲はこちら
↓↓↓

「粛々と運針」感想:iaku

「生きている」ことと、「生きる」ことの違い

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★★★★★★★★★★ 10点

あらすじ

築野家。弟と二人で母を見舞う。病室で母から紹介されたのは、「金沢さん」という俺たちの知らない初老の紳士。親父が死んだあと、親しい仲らしい。膵臓ガンを告知された母は、金沢さんと相談の結果、穏やかに最期を迎えることを選んだという。まだ治療の可能性はあるのに。なんだよ尊厳死って。誰だよ金沢さんて。

田熊家。平均寿命くらいまで支払いを続けたら自分のものになる小さな一軒家を去年購入。その家のどこかで子猫の鳴き声がする。早く助けてあげたいけど、交通事故で頸椎を痛めた夫はケガを理由に探してくれない。私は、お腹に新しい命を宿しているかもしれないのに。不思議。この話の切り出し方が分からない。 平凡な生活の内に潜む葛藤を、周到な会話で描き出すiakuの新たな試み。

 「生命」の終わりと、「生命」の始まりに葛藤する2組の家族が、同時並行に展開しつつ、いつしか絡み合ってくる濃厚な物語。

iakuらしい、軽やかで温かい会話劇です。

<ネタバレ>自分の人生を生きる

舞台は、築野家と田熊家の物語が同時並行で繰り広げられます。
特に暗転もなく、交互に各家族の話が進行。その合間に、縫い物をする神秘的な二人の女性の会話が挟み込まれていきます。

築野家は、母親が末期の膵臓ガンになっており、本人は尊厳死を希望するという“生命の終わり”に直面しております。いまだに母親と実家暮らしをする、うだつの上がらない兄・一(はじめ)は当然のことながら延命治療を求めます。しかし、すでに結婚し自立して生きる弟・絋(つなぐ)は、どこか母親の死をすでに受け入れており、遺産の話などを持ち出します。はそんな弟に苛立ちを隠せません。

一方、田熊家は、妻・沙都子(さとこ)に妊娠した兆候があり、“生命の始まり”に直面しています。本来なら喜ばしいことなのですが、この夫婦は結婚する際に「子どもを作らない」という約束を交わしています。しかし、いざ妊娠してみると、夫・應介(おうすけ)は子どもが欲しくなってしまいます。なんとか説得を試みるも、キャリアウーマンとして、自分の道を歩きたい沙都子は、断固として堕ろそうとします。

このすれ違い続ける家族が、ある瞬間から、2家族入り乱れて会話し始めます。

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これまで舞台を暗転させず、演者も退場させずに進行してきたため、この2家族が交じり合う瞬間があまりにも自然に美しく、サブイボものです。

しかし2家族が交差するという奇跡がおきても、それぞれの葛藤がキレイなカタチで解決するという奇跡は起きません。

「生命を尊重する」というきれい事を吐き続ける、應介
「それぞれの生き方を尊重する」と言って譲らない、沙都子

どちらの主張にも共感があり、一向に結論はでません。

ここで、縫い物を続ける女性2人が、死に瀕する母親・結(ゆい)と、沙都子が宿す子・糸(いと)であることが判明します。2人がいる場所は、おそらく「生と死」の境界線で、縫い物を続けることで「時を刻む=運針」をしているということでしょう。

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どんな状況でも、粛々と平等に時は流れて行く。結論が出なくても、時間は進む。

それぞれの家族のもとに電話がかかってきます。田熊家には懸案事項の一つだった交通事故に関する電話。築野家には母親が危篤状態になっていることを知らせる電話。

どれだけ頭を悩ませても時間は止まってくれない。
なにも決まっていないけど、とりあえず前に進まなくてはいけない。

それぞれが、新しい一歩を踏み出した瞬間に、止まっていた築野家の古時計の鐘が再び動き出すのでした。

 

この家族が今後、どうなっていくのか。正解は無いと思いますが、一つだけヒントがありました。

縫い物をする女性は、
縫い物の終わりを意味する「」は、生命を終えようとする母親。縫い物の始まりを意味する「」は、生命を始めようとする新しい子ども。そういう風にリンクしているとするながら、應介沙都子の子ども・は、この世に生を受けるのではないでしょうか?願わくば、そうあって欲しいと思います。

簡単には答えのでない問題に、単にケリを付けるのではなく、葛藤を浮かび上がらせ投げかける、とてもiakuらしい舞台でした。淡々とした会話劇のなかに、計算され尽くした演出が隠れており、ココロ動かされます。

今回、「iaku演劇作品集」と銘打たれた再演のなかで観劇できたのが「粛々と運針」だけだったのですが、それを猛烈に後悔させられました…。このあと、全国でも公演があるようなので、お見逃しなく。

「首のないカマキリ」感想:劇団俳優座

生命の繋ぎかた

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あらすじ

森坂家の長女・理恵は、疎遠になっていた幼馴染の“ミハナちゃん”が病により急逝したことを知り、塞ぎ込んでいる。理恵の妹・奈緒の姉に対する視線は冷ややかだ。姉妹の母・美幸は理恵の精神的ケアや夫・大介の海外赴任、同居する義母との関係、バンドマンの義弟が実家に戻ってくることなど、森坂家が抱える数々の問題に心労が絶えなかった。そこへ、20年以上会っていなかった美幸の叔父が現れ、“献体”について頼みたいことがあると言い……。

iakuの横山拓也氏の描き下ろし。
骨髄バンク」や「献体」といった、“生命”を次に繋いでいくことを考える物語です。

<ネタバレ>「生命を繋いでいく」方法

森坂家は、“ミハナちゃん”の病気が発覚したタイミングから、義弟の晴輝も含めて家族で骨髄バンクに登録しています。しかし、理恵は登録が可能な20歳を超えても登録する気配がない。そのことに妹の奈緒はいつも苛立っていました。

そんななかでの“ミハナちゃん”急逝に対し、姉が悲しんでいる姿に苛立ちはピークに。高校生である奈緒は、学校内で「ドナー登録」の登録用紙を配布するという実力行使に出ます。当然ながら、その未熟な行為は学校から咎められるのですが、理解ある両親や担任の力添えもあり、地に足をつけて「ドナー登録」の啓蒙活動を行うことを志します。

一方、結婚を間近に控えた理恵に、妊娠が発覚。出産時の臍帯血を提供する「臍帯血バンク」に登録し、ようやく“ミハナちゃん”の件と向き合う覚悟ができます。“ミハナちゃん”の母・智江に、自分が過去にHIV感染の疑いがあり、その経緯から「骨髄バンク」に登録できなかったことを告白します。智江は、理恵の妊娠を素直に喜びながら、“ミハナちゃん”が実は、卵子の冷凍保存を行い、自分の遺伝子を残す意思を示していたことを伝えます。

骨髄バンク」「臍帯血バンク」「卵子の保存」「妊娠」…様々な方法で、「生命を繋いでいく」ことができることが示され、それぞれの方法で「生命を繋いでいく」ことを考えながら、温かい空気が流れます。

そこに、もう一つの「生命を繋いでいく」方法である「献体」を選んだ叔父の死を仄めかす電話がかかってきて、舞台の幕が下ります。

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「生命を繋いでいく」という重たいテーマですが、会話を中心に軽やかに描いています。物語に差し込まれる叔父の存在感も、舞台にメリハリをもたらしていましたし、テーマも素晴らしかった。

ただ、iakuの舞台と比較すると、ちょっとウェットな感じに仕上がりすぎているかなと…。iakuでは、登場人物がストレート感情を表現することが少なく、それが舞台に多角的な視点をもたらしていると思います。そのため、iakuの舞台では、“主人公”が場面によって、揺らぐように変化します。

今回は全体を通して、すべてがストレート過ぎたかなと感じました。これは演出の狙いかもしれませんし、いつもの「関西弁」でのリズムが出なかったからかもしれません。

 

こちらの舞台は6/3まで、俳優座で上演されています。