郵便配達は二度チケットをもぎる

演劇未経験者が、駄文をこねます。

『「 」』感想:エンニュイ

言葉が脱色される瞬間

f:id:mAnaka:20180713153732j:plain★★★★★☆☆☆☆☆ 5点

あらすじ

突然流行りだした言葉を失う奇病。
最終的には存在が消えてしまうという…。

こんなイントロダクションから始まる舞台ですが、この病にフォーカスするかと言えば、そんなことはありません。むしろ、こんな病気が流行っている中でも、当たり前に繰り返されている日常に焦点を当て、その本質をあぶり出そうとしています。

舞台となるのは、「IT系の小さな職場」「オカルトサークル」「動画配信者」など、“言葉”の存在が比較的大事な空間。登場人物たちは、そこでコミュニケーションを取ろうとするのですが、ズレるズレる…。

<ネタバレ>言葉が行き場を失った先に

場面はコロコロ切り替わり、ストーリーは安定しないのですが、常に共通しているのが「伝わらなさ」。

職場では、上司-部下の思いはズレ。
オカルトサークルでは、常連-新入りが噛み合わず。
ネット上では、配信主-視聴者のやりたいコトは乖離していく。

登場する人々は、言葉を失っているワケではないのに「伝わらない」。これは、舞台上に限らず、見ている自分たちにも矛先が向いています。

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登場人物たちには、「子どもが生まれる」「母親が死ぬ」など人生の一大事が降りかかるのですが、そこで発せられる言葉も宙を舞う。

グッとくる言葉も、うわさ話も、与太話も、嘘も、すべてがフラットになり、上滑る。
言葉も、歌も、ラップも、能も、伝わらない。

それでも「関係欲求」を持つ登場人物たちは、叫び続けるしかない。

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ラストの場面では、それぞれが語っていた言葉を、別の人間が語りだします。ここで言葉は完全に脱色されてしまいます。「言葉を失う奇病」とは、こういうことなのでしょう。

彼らはペンライトを持って、語りかけます。ペンライトは、言葉の向かう先を照らしているはずです。しかし、その光は、虚空を、壁を、自分の口元を照らすだけで、他人に向かわない。ここでも「伝わらない」絶望が表現されています。

キレイな光の点滅と、そこに横たわる恐怖を感じながら、舞台は幕を閉じます。

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書きぶりが怖くなってしまいましたが、お笑いコンビのメンバーとしても活動されている長谷川優貴さんが脚本をされているため、随所に笑わされる場面も散りばめられています。

どこか幻想的なのに、笑える。怖い話なのに、クスクスする。なんとも不思議な舞台でした。

「蛸入道 忘却ノ儀」感想:庭劇団ペニノ

演劇的トリップのお祭り

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★★★★★★★★★☆ 9点

あらすじ…と言うか概要

まず、控室のようなスペースに通され、そこで御札に名前と願いを筆でしたためます。

その後、スタジオに案内されるのですが、舞台はお堂。舞台上にお堂が再現されているわけではなく、部屋全体がお堂になっています。座席は指定されておらず、各々が好きな場所に腰をおろします。入り口では“経本”と“楽器(鳴子や鈴)”を渡されます。

まるで宗教儀式に巻き込まれたような気持ちで開演を待つのですが、まずは主宰のタニノクロウが説明を行います。

この舞台は、
・“経本”に記載されている第十六節の内容に従って展開される
・“楽器”は好きな時に鳴らしてOK
・舞台中央に設置された護摩壇には火が付き、部屋はどんどん暑くなる

という、およそ演劇らしからぬ注意が促されます。

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曰く、「タコは、心臓が3つ、脳が9つある」高度な生物であり、その進化の過程はいまだに謎が多いのだそう。いつか、人間とタコがひとつの生命体に近づいていくのではないか?そんな不気味なことを言いつつ、タニノが退場。いよいよ儀式が始まります。

<ネタバレ>なにを“忘却”する儀なのか?

お堂の真ん中に、赤い服を来た演者たちが登り、第一節から始まっていきます。観客たちも“経本”をめくりながら、時に読経し、時に楽器を鳴らし、儀式に参加します。途中で、板を取り付けたり、水が配られたりと、もはや自分たちが観客であることは、忘れ去られていきます。

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儀式は時間が経つに連れ、どんどんエスカレート。護摩の煙を吸い込みながら、楽器をかき鳴らす姿は、完全にトランス状態。部屋の暑さ・匂いを観客もダイレクトに感じるため、そのトランス状態は他人事ではなく、こちらもドキドキしてきます。“経本”の内容も意味不明な銀紙だけのページが続いたり、頭で理解することを放棄せざるを得なくなります。いよいよトランス状態が限界に達した時、演者たちはおもむろに退場。ふっと我に返され、圧倒的な舞台芸術のなかに取り残されるのでした。

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まず、観客を没入させるシカケの数々に圧倒されるのですが、なかでも“経本”の存在がピカイチでした。アイテムとして面白く、舞台を円滑に進める要素が大きいのですが、「第十六節」で終わると明示していることも重要だと感じます。ほぼストーリーがなく、淡々と進む儀式のため、終わりが見えないと正直見ていられない気がします。「これがいつまで続くのか…」が気になり舞台に没入しきれなかったかなと。

 

通常、演劇は観客に2つの視点を持たせることになります。例えば「100年後の未来」を描いた作品の場合、①「100年後の未来」を描いた舞台を観る観客としての視点、②「100年後の未来」のなかで動き回る登場人物の視点、が存在することになります。
しかし、この「蛸入道 忘却ノ儀」に関しては、観客固有の1つの視点しか存在しません。そう言う意味で、とても“反・演劇”的だと感じつつ、演劇を見ていることを“忘却”するという観劇体験は、ある意味“究極の演劇”だとも思います。

たまたま水がドバドバかかる場所に座っていたのですが、終盤「水をかけられる」ことを観客としてではなく、この儀式に参加する人物として受け入れていました。友人と観劇していたのですが、これは一人で参加した方がより恐ろしい体験だったかと…。

 

岸田國士戯曲賞を受賞した直後に、こんな演劇をブチ上げてしまう変態性に感動しつつ、ペニノからいよいよ目が離せなくなってしまいました。

 

岸田國士戯曲賞を受賞した「地獄谷温泉 無明ノ宿」の戯曲はこちら
↓↓↓

「粛々と運針」感想:iaku

「生きている」ことと、「生きる」ことの違い

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★★★★★★★★★★ 10点

あらすじ

築野家。弟と二人で母を見舞う。病室で母から紹介されたのは、「金沢さん」という俺たちの知らない初老の紳士。親父が死んだあと、親しい仲らしい。膵臓ガンを告知された母は、金沢さんと相談の結果、穏やかに最期を迎えることを選んだという。まだ治療の可能性はあるのに。なんだよ尊厳死って。誰だよ金沢さんて。

田熊家。平均寿命くらいまで支払いを続けたら自分のものになる小さな一軒家を去年購入。その家のどこかで子猫の鳴き声がする。早く助けてあげたいけど、交通事故で頸椎を痛めた夫はケガを理由に探してくれない。私は、お腹に新しい命を宿しているかもしれないのに。不思議。この話の切り出し方が分からない。 平凡な生活の内に潜む葛藤を、周到な会話で描き出すiakuの新たな試み。

 「生命」の終わりと、「生命」の始まりに葛藤する2組の家族が、同時並行に展開しつつ、いつしか絡み合ってくる濃厚な物語。

iakuらしい、軽やかで温かい会話劇です。

<ネタバレ>自分の人生を生きる

舞台は、築野家と田熊家の物語が同時並行で繰り広げられます。
特に暗転もなく、交互に各家族の話が進行。その合間に、縫い物をする神秘的な二人の女性の会話が挟み込まれていきます。

築野家は、母親が末期の膵臓ガンになっており、本人は尊厳死を希望するという“生命の終わり”に直面しております。いまだに母親と実家暮らしをする、うだつの上がらない兄・一(はじめ)は当然のことながら延命治療を求めます。しかし、すでに結婚し自立して生きる弟・絋(つなぐ)は、どこか母親の死をすでに受け入れており、遺産の話などを持ち出します。はそんな弟に苛立ちを隠せません。

一方、田熊家は、妻・沙都子(さとこ)に妊娠した兆候があり、“生命の始まり”に直面しています。本来なら喜ばしいことなのですが、この夫婦は結婚する際に「子どもを作らない」という約束を交わしています。しかし、いざ妊娠してみると、夫・應介(おうすけ)は子どもが欲しくなってしまいます。なんとか説得を試みるも、キャリアウーマンとして、自分の道を歩きたい沙都子は、断固として堕ろそうとします。

このすれ違い続ける家族が、ある瞬間から、2家族入り乱れて会話し始めます。

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これまで舞台を暗転させず、演者も退場させずに進行してきたため、この2家族が交じり合う瞬間があまりにも自然に美しく、サブイボものです。

しかし2家族が交差するという奇跡がおきても、それぞれの葛藤がキレイなカタチで解決するという奇跡は起きません。

「生命を尊重する」というきれい事を吐き続ける、應介
「それぞれの生き方を尊重する」と言って譲らない、沙都子

どちらの主張にも共感があり、一向に結論はでません。

ここで、縫い物を続ける女性2人が、死に瀕する母親・結(ゆい)と、沙都子が宿す子・糸(いと)であることが判明します。2人がいる場所は、おそらく「生と死」の境界線で、縫い物を続けることで「時を刻む=運針」をしているということでしょう。

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どんな状況でも、粛々と平等に時は流れて行く。結論が出なくても、時間は進む。

それぞれの家族のもとに電話がかかってきます。田熊家には懸案事項の一つだった交通事故に関する電話。築野家には母親が危篤状態になっていることを知らせる電話。

どれだけ頭を悩ませても時間は止まってくれない。
なにも決まっていないけど、とりあえず前に進まなくてはいけない。

それぞれが、新しい一歩を踏み出した瞬間に、止まっていた築野家の古時計の鐘が再び動き出すのでした。

 

この家族が今後、どうなっていくのか。正解は無いと思いますが、一つだけヒントがありました。

縫い物をする女性は、
縫い物の終わりを意味する「」は、生命を終えようとする母親。縫い物の始まりを意味する「」は、生命を始めようとする新しい子ども。そういう風にリンクしているとするながら、應介沙都子の子ども・は、この世に生を受けるのではないでしょうか?願わくば、そうあって欲しいと思います。

簡単には答えのでない問題に、単にケリを付けるのではなく、葛藤を浮かび上がらせ投げかける、とてもiakuらしい舞台でした。淡々とした会話劇のなかに、計算され尽くした演出が隠れており、ココロ動かされます。

今回、「iaku演劇作品集」と銘打たれた再演のなかで観劇できたのが「粛々と運針」だけだったのですが、それを猛烈に後悔させられました…。このあと、全国でも公演があるようなので、お見逃しなく。

「首のないカマキリ」感想:劇団俳優座

生命の繋ぎかた

f:id:mAnaka:20180523180642p:plain★★★★☆☆☆☆☆☆ 4点

あらすじ

森坂家の長女・理恵は、疎遠になっていた幼馴染の“ミハナちゃん”が病により急逝したことを知り、塞ぎ込んでいる。理恵の妹・奈緒の姉に対する視線は冷ややかだ。姉妹の母・美幸は理恵の精神的ケアや夫・大介の海外赴任、同居する義母との関係、バンドマンの義弟が実家に戻ってくることなど、森坂家が抱える数々の問題に心労が絶えなかった。そこへ、20年以上会っていなかった美幸の叔父が現れ、“献体”について頼みたいことがあると言い……。

iakuの横山拓也氏の描き下ろし。
骨髄バンク」や「献体」といった、“生命”を次に繋いでいくことを考える物語です。

<ネタバレ>「生命を繋いでいく」方法

森坂家は、“ミハナちゃん”の病気が発覚したタイミングから、義弟の晴輝も含めて家族で骨髄バンクに登録しています。しかし、理恵は登録が可能な20歳を超えても登録する気配がない。そのことに妹の奈緒はいつも苛立っていました。

そんななかでの“ミハナちゃん”急逝に対し、姉が悲しんでいる姿に苛立ちはピークに。高校生である奈緒は、学校内で「ドナー登録」の登録用紙を配布するという実力行使に出ます。当然ながら、その未熟な行為は学校から咎められるのですが、理解ある両親や担任の力添えもあり、地に足をつけて「ドナー登録」の啓蒙活動を行うことを志します。

一方、結婚を間近に控えた理恵に、妊娠が発覚。出産時の臍帯血を提供する「臍帯血バンク」に登録し、ようやく“ミハナちゃん”の件と向き合う覚悟ができます。“ミハナちゃん”の母・智江に、自分が過去にHIV感染の疑いがあり、その経緯から「骨髄バンク」に登録できなかったことを告白します。智江は、理恵の妊娠を素直に喜びながら、“ミハナちゃん”が実は、卵子の冷凍保存を行い、自分の遺伝子を残す意思を示していたことを伝えます。

骨髄バンク」「臍帯血バンク」「卵子の保存」「妊娠」…様々な方法で、「生命を繋いでいく」ことができることが示され、それぞれの方法で「生命を繋いでいく」ことを考えながら、温かい空気が流れます。

そこに、もう一つの「生命を繋いでいく」方法である「献体」を選んだ叔父の死を仄めかす電話がかかってきて、舞台の幕が下ります。

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「生命を繋いでいく」という重たいテーマですが、会話を中心に軽やかに描いています。物語に差し込まれる叔父の存在感も、舞台にメリハリをもたらしていましたし、テーマも素晴らしかった。

ただ、iakuの舞台と比較すると、ちょっとウェットな感じに仕上がりすぎているかなと…。iakuでは、登場人物がストレート感情を表現することが少なく、それが舞台に多角的な視点をもたらしていると思います。そのため、iakuの舞台では、“主人公”が場面によって、揺らぐように変化します。

今回は全体を通して、すべてがストレート過ぎたかなと感じました。これは演出の狙いかもしれませんし、いつもの「関西弁」でのリズムが出なかったからかもしれません。

 

こちらの舞台は6/3まで、俳優座で上演されています。

「図書館敵人生Vol.4 襲ってくるもの」感想:イキウメ

人は“自由”たりうるのか

f:id:mAnaka:20180521122207j:plain★★★★★★★☆☆☆ 7点

概要

一つのテーマで短編を上演する「図書館的人生」の第四弾。
今回は、「意識の中の魔物」。

人の無意識に潜む「思い出・衝動・感情」が、時に人に牙を剥く瞬間を捉えています。

上演されるのは3演目。
イキウメらしいSF物語のなかに、とても“人間臭い”ドラマが描かれています。

<ネタバレ>3編のあらまし

それぞれの短編をざっくり追っていくと…

①「箱詰め男」(2036年)

脳外科医の山田不二夫は、アルツハイマーを患ったことをキッカケに、自分の記憶や意識をコンピューターに移植する「マインドアップロード」を実行。箱型コンピューターに乗り移ることに成功します。
そこにロボット工学者である息子の宗夫が帰国するも、コンピューターの父親は、まるでAIスピーカーにようにしか見えません。その原因が五感を失ったことによる「欲望の喪失」だと考えた宗夫は、記憶と最も相性が良い「嗅覚」を復活させるために、“嗅覚センサー”を父親に付けます。

不二夫は「嗅覚」を手に入れたことで、「思い出」を取り戻し、人間らしい感情を復活させます。しかし、コンピューターのカラダでは「思い出」が、リアルに再現され、さらに忘れることができないことが判明します。過去、自分の弟・輝夫と、妻を裏切ったことのある不二夫は、その思い出に侵されるように発狂していく…。

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②「ミッション」(2006年)

山田輝夫は、配達中に死亡事故事故を起こした罪で実刑を食らいます。輝夫は出所後、友人に事故は故意で起こしたことを語ります。頭のなかに「このままスピードを落とさずに交差点に突っ込め」という「衝動」が突如沸き起こり、それに従ったのだと。
出所後の輝夫はこれまで以上に、「衝動」に身を任せます。いつしか、自分の「衝動」は天からのお告げであり、その行動により世界が救われているという考えに支配されていきます。

そんな中、自分と同じ匂いのする二階堂桜と街で何度もすれ違うようになります。そこに「衝動」と同じ運命を感じた輝夫は、ますます暴走。しかし、友人・佐久間一郎に、「それはお前が女に惚れて行動しているだけで、適当な理由を付けて自己満足しているだけだ」と身も蓋もない指摘をされ、呆然と立ち尽くすのでした。これまでの自分の「衝動」を、すべて振り返るように…。

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③「あやつり人形」(2001年)

大学3年生の百瀬由香里は、就活の真っ最中。そんな折、母親・みゆきの病が再発。すべてをリセットしたくなった由香里は、恋人・佐久間一郎との関係を解消し、大学を辞めると宣言します。自暴自棄になった由香里を、兄・清武は説得します。周りの優しさを実感しながらも、由香里はどこか違和感を覚えます。それと同時に、他人の頭の上に隕石のような黒い岩が見えるようになります。

様々な人の感情に振り回される日々。そんななかで、母親の治療をめぐり、自分の優しさが、実は自分の思う方向に相手を誘導する暴力的な側面があることに気づきます。本当の優しさとは、相手がどうなろうと、見守り続けることだと。

優しさの裏にある“支配”が、黒い岩の正体でした。ふと見ると、自分の優しさにまるで「あやつられる」ようにタップダンスをし続ける兄・清武の姿が。そんな兄を、由香里と母は、優しく抱きとめるのでした。

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人間は自由になれるのか?

この3編は、登場人物たちにつながりがあり、「あやつり人形」⇒「ミッション」⇒「箱詰め男」という時間軸でみれば整合性が取れます。さらに、「あやつり人形」では「箱詰め男」を彷彿とさせる1シーンも登場し、物語がループしているような印象も受けます。

しかし、このシカケ自体には囚われる必要はないと思います。

と言うのも、今回の「襲ってくるもの」に登場する人物たちは、「自分の中にある考え」に固執しすぎる結果、痛い目を見ます。そして、その考えから解き放たれ、「自由」を獲得した瞬間に、新しい一歩を踏み出そうとするのです。

今回の舞台でいうと、散りばめられたシカケにこだわり、無理に物語の整合性にこだわることこそが、本来の意味を見失う結果になるのではないでしょうか?
(イキウメファンなら、ドキリとする“時枝”なども登場しますが、そこにも意味はない)

様々なモノから一歩ひいて、自由になること。自由意志なんてモノは存在しないのかもしれない。無意識を含めて、現代を生きる人々は様々なモノに影響されてしまうから。でもだからこそ、人はもっと自由でいい。

そんなことを訴えかけている舞台だった気がしています。

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イキウメの舞台は、短編が長編に、長編が短編に、どんどんと進化を続けていきます。今回の「襲ってくるもの」が、今後どのように発展していくのか…。

当日券もあるようなので、ぜひ劇場へ。

 

“概念”を奪われるという、本公演にも繋がる「散歩する侵略者」の原作本はこちら。

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「今、僕たちに出来る事。あと、出来ない事。from 2001 to 2018。」感想:シベリア少女鉄道

“できない事”を魅せる

f:id:mAnaka:20180507145051j:plain★★★★★★☆☆☆☆ 6点

あらすじ

高校教師の鳥居一人は、突如 演劇部の顧問に任命されてしまいます。その演劇部は、異常なまでに演劇に“こだわり”を持つ廣瀬希美が演出を務めています。廣瀬の熱量に押されて、他の部員たちは白け気味。しかし、過去に同じような“こだわり”で映画作りに没頭していた鳥居は、廣瀬に感化され、徐々に理想の演劇の実現に向けて協力をするようになっていきます。

しかし、ほのぼのとした高校ライフの裏側で地球にはある危機が…。地球に回避不可能な小惑星が迫っていました。天才科学者の有田瑞生は、「反物質爆弾」を用いた、小惑星の破壊を計画。その実現のために自らのクローンまで作り、地球を救おうとします。

17年前に演じられたシベリア初期作の再演です。
ベタベタな展開のなかに、シベリアらしい毒と仕掛けを盛り込んだ舞台なのですが、これを駆け出しの時代に上演しているのが、本当に恐ろしい…。

<ネタバレ>演劇の構造を疑う

その後の展開を追っていくと、
反物質爆弾」計画はまさかの失敗。小惑星を破壊し尽すことができず、破片が月に激突。地球の崩壊は免れたものの、月が消滅していまい、さらにその影響により女性の生理がこない世界になってしまいます。

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 新しい生命が誕生しなくなった世界になったことで、子ども達のために演劇の作っていた廣瀬は絶望し、AV女優にまで身を落としてしまいます。そんな折、鳥居と廣瀬はナゾの組織に誘拐されます。その組織の指導者は有田博士。子どもが生まれない世界を救うため、クローンの実用化を目指しており、鳥居と廣瀬を実験体にしようとしていました。

ここで、有田博士の同僚である遠藤実が離反。衝撃の事実が明らかになります。実は、有田博士はクローンの世界を作り出すために、わざと月を壊したことが分かります。さらに、鳥居は有田博士が作り出したクローンであると…。

こんな世界を変えるために、鳥居と廣瀬は過去にタイムトラベルし、歴史を変えようとします。そのなかで、実は鳥居は有田博士の「実の子」であり、悲しい過去の経験から、クローンであると思い込んでいただけであることが判明します。

すべての事実が明らかになり、鳥居は有田博士を説得。過去の時間軸で、小惑星をしっかり破壊して大円上。

というのが表面上の舞台です。

では、この舞台でどんな仕掛けがあったのか?
そのカギは、タイムトラベルにあります。

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タイムトラベルする度に、過去と未来の自分が出会ってしまいます。同じ登場人物を2人同時に舞台に上げる必要があります。映画なら編集でどうにかなりますが、演劇ではそういうワケにもいきません。最初は早着替えなどで対応するも、いよいよどうにもならなくなり、仮面を被せた代役が登場。たどたどしいモノマネで突破しようと試行錯誤。

時間軸が複雑に絡み、同じ登場人物が3人以上登場する場面では、ついに等身大パネルが登場。等身大パネル+ナレーションで舞台が進みます。そんなことを繰り返していくうちに、舞台は代役の人形だらけに…。途中から似せる気もない「バルタン星人」や「マリオ」の人形などが登場し、いよいよカオス化。

クライマックスでは、「ここで宇多田ヒカルの書き下ろし楽曲が流れる」「宇宙で小惑星が破壊される迫力の映像」など、脚本の願望がテキストで表示されながら、幕を閉じていきます。

つまり、「(やりたくても)出来なかったこと」をコンテンツ化してしまうというアクロバティックな着地を見せつけられるのです。

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創作への“こだわり”をテーマとして匂わせながら、圧倒的な裏切りに終始ニヤニヤしてしまいます。

演劇とは、限られた演者・限られた道具で「出来ること」を表現する芸術だとすると、この舞台は、限られた演者・限られた道具で「出来なかったこと」を表現してしまっています。

作中に登場する「反物質」ならぬ、「反演劇」です。(もちろん、良い意味で)

今のシベリア少女鉄道を知っているからこそ安心して見ていられますが、これをまだ立ち上げたばかりの時代にやってしまう精神性は異常です。土屋亮一さんが、最初から「演劇」の構造をハックしていることがよく分かります。

 

再演時にこそ、味が出る不思議な舞台でした。最初から再演も想定して作られていたとするなら、土屋亮一の頭脳恐るべし。ぜひ、この「ぶっ壊れ演劇」を劇場で目撃してください。

「ラスト・ナイト・エンド・ファースト・モーニング」感想:悪い芝居

忘れたものでデキている。

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★★★★★★★☆☆☆ 7点

あらすじ

日野朝子には思い出がない。いつも家にいる歳のいった母との記憶がすべて。
あの夜、幼い自分をインターネットの墓場で見つける。

温森春男はすべての記憶を失った。スマホをわずかな所持金だけを持って。
あの夜、「マイハニー」にリダイヤルする。この人と新しい時間を作ってゆきたいと思う。

乾潤には忘れられない記憶がある。最近、少しだけ忘れ始めたような気がする。
あの夜、義理の兄がやってくる。もう一度、思い出させるために。

 ある悲しい事件をキッカケに、「記憶を失った人」と「記憶を封印した人」たちが、本当に「忘れる」ためにもがき苦しむ物語です。

<ネタバレ>「思い出せない」ことは「忘れる」ことではない

 舞台は、
①子供の頃の記憶を失った(でもそれに気づいていない)ニートの朝子
②記憶喪失になったが、その代わりにサヴァン的な記憶法を手に入れた春男
③朝子の父親ながら、過去を封印している潤
の3つの視点で進行します。

ストーリーの本筋をざっと追うと、
光市母子殺害事件」を彷彿とさせる事件が19年前に発生します。襲われた母親は死亡。当時1歳の乳児は重症を負いますが、一命を取り留めます。この時、事件のあった部屋の隣には父親がいたのですが、仕事をしていたせいで犯行に気づかなかった…。
この時の乳児が「朝子」で、父親が「潤」です。

この事件をキッカケに、朝子は母方の祖母に引き取られ、事件を遠ざけたまま育っていきます。潤も事件を忘れるように生きていきます。

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一方、記憶を失った春男は、マイハニーこと「温森風化」と幸せに暮らしていました。そんな春男の元に、インターネットテレビの取材が舞い込みます。この番組では、春男の過去を知る人物がいないか、インターネットで呼びかけを行います。すると、19年前の事件を起こし、7年前に出所した“犯人”なのではないか、という風評が巻き起こります。

実は、潤は“犯人”が出所した際に「石部金吉」という人物に“犯人”の殺害を依頼。金吉は“犯人”を樹海で撲殺…と思いきや“犯人”は生きており、そのショックで記憶だけ失っていました。樹海を彷徨ううちに自殺した「温森春男」の所持品を見つけ、自分のことだと思い込みます。恋人を自殺で失った風化は、この“犯人”を「春男」として愛することに決めます…。

そして、この騒動をキッカケに、3者の運命が交差します。

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 結果として、「朝子」は事件の記憶を取り戻し、「潤」は事件と向き合うことができます。「朝子」は「春男」を犯人ではない、と断言。「春男」の記憶は戻らないままですが、日常に帰っていきます。

すべてが回復するわけではないですが、ほのかに希望を感じさせるラストになっています。ただ1点、“犯人”が生きていることに責任を感じた金吉が、春男と風化の自宅を訪れること以外は…。

「許すこと」=「忘れること」

この舞台は「記憶」をテーマにしています。登場人物たちは、どこかしら欠落した「記憶」を持って生きています。

朝子は否定しましたが、「春男」は結局“犯人”だったのだと思います。これだけ条件が揃った人間が、複数いるとは考えにくいです。朝子は記憶を取り戻しながらも、春男を許したのではないでしょうか?
「許す」とは、つまり「忘れる」こと。こうすることで、始めて事件を自分の中に溶かし込むことができるのです。

「覚えていないのではなく、忘れること」
「思い出さないようにするのではなく、忘れること」

そうして、ようやく一歩を踏み出せるのではないでしょうか。

朝子のセリフにもあるように、人間は「覚えていることではなく、忘れていること」で構成されています。

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そう考えると、「乾潤」という真逆の意味を持つ漢字で構成された潤は、最初から引き裂かれる運命にあったのでしょう。彼だけが鮮明な記憶を持ちながら、実は彼だけが実際の現場を見ていない。そのことに生涯苛まれ続けた彼に、本当の意味で「忘れる」日が訪れるとすれば、日野朝子という新しい朝を予感させる名前を持つ少女との生活にしかないのでしょう。

 

アナログとデジタルが混ざったような不思議な舞台装置で、繰り広げられる物語は、一見難解なように見えて、丁寧な演出のお陰で、とてもシンプルで力強いものになっていました。
舞台の三方は、控室の鏡台のようになっており、一人何役もこなす役者たちがそこで着替えるという演出もとても新鮮でした。
ここにも、「記憶」の地続き感を彷彿とさせる想像力があったように思います。途切れているようで、脈々と受け継がれたモノ(記憶)で私(役者)はデキているのだと。

また、インターネットテレビ局というギミックも素晴らしかった。特定のサービスを風刺しているのではなく、現在のインターネットが抱える「無責任」なのに「大衆に影響」することで、「集団の暴力性」を増長するという問題点を、具現化したような存在でした。

 

残りは大阪公演のみですが、新境地に至った悪い芝居をぜひ目撃してください。

悪い芝居の過去作はAmazonでも見られます。

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