郵便配達は二度チケットをもぎる

演劇未経験者が、駄文をこねます。

「働けど働けど」感想。:カジャラ

働く姿の滑稽さ

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★★★★★★★★★☆ 9点

概要 

ラーメンズ小林賢太郎が作・演出を手がけるコント公演「カジャラ」。
その第三弾にあたる「働けど働けど」。

俳優・お笑い芸人・劇団人、いろんな血筋を入れながら独特の世界を作り出す唯一無二の舞台です。

<ネタバレ>感想

あくまでコント公演なので、それぞれ独立した短編になっているのですが、本公演は一貫して「労働」について語り続けます。
特に、カジャラはコントとコントの間の“幕間”もあえて見せる演出をしており、全体で世界観を醸し出しています。
今回のテーマに当てはめてみると、“幕感”も役者が「働く」姿を描いています。

そういう意味でも、とても「演劇的」なのに、ひとつひとつは徹頭徹尾コントになっており、それがスゴい…。

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どのコントも「働くことの滑稽さ」を描いているように感じました。「働くこと」にもがき続けるおじさん達の姿が、笑いを誘います。カジャラは毎回そうですが、女性がいないことも、滑稽さを助長しています。

しかし、「働くおじさん」たちを愛する視線が常に存在しています。そのことが、どこか哀愁を漂わせています。

特に公演名にも採用されている石川啄木の「一握の砂」をモチーフにした、小林賢太郎の一人コントは秀逸。

「働けど働けど〜」と、「われ泣きぬれて〜」というあまりにも有名な短歌をモチーフに、海辺で砂の城を作るサラリーマン。砂の城は完成するたびに“丸いもの”に壊されてしまいます。作っては壊され、作っては壊され…。
しかし、ある時“丸いもの”では壊せない砂の城が完成します。曰く「壊れるたびに土台が強くなっているから」。

サラリーマンは“丸いもの”を慈しむようにした後、せっかく作った砂の城を自らの手で壊します。さらに前に進むために…。

おそらく小林賢太郎の「労働に対する考え方」が表現されているのでしょう。作っては壊され、作っては壊され、気づけば周りから一定の評価を受ける場所まで来たが、さらに高みを目指すために、壊し続けていくのでしょう。

自らの紹介にも記載していますが、「芸人名<自分が作ったコント」を目指す小林賢太郎にとって、「一握の砂」は「作家名<短歌」になっている大きな目標なのかもしれません。

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カジャラの舞台は「大人たるもの」がYoutubeでも公開されています。これを見て、ぜひ劇場でも体感してみてください。

youtu.be

 

カジャラの前回公演「裸の王様」こちら

「隣の芝生も。」感想:MONO

隣の芝生が青いのは、フィクションである

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★★★★★☆☆☆☆☆ 5点

あらすじ

古い雑居ビルは配管が古くて水回りの調子が悪い。
隣合わせに入居している2つの会社。
互いのことは詳しく知らない。 印象だけで羨ましく思い合っている。
無関係に思われたそれぞれの物語は、いつしか交差し、絡み合って行く。

片方の会社はうだつの上がらない、元ヤクザたちが始めようとしている探偵会社。お世話になった“おやっさん”が持つビルを、格安で貸してもらっている。
もう片方は、兄妹でやっているスタンプ屋さん。友人たちが手伝っているものの、放浪グセのある“お兄ちゃん・新乃助”のせいもあり、経営が行き詰まっている。

ある日、いつもの如く新乃助が失踪。その捜索を、元ヤクザの探偵達に依頼したところから物語が動き始める。

来年30周年を迎える、円熟したMONOの俳優5人と、若手俳優5人が演じる、人情系伏線ミステリーになっています。

<ネタバレ>表面を見れば誰もが幸せ

元ヤクザたちは、どこか間抜けな憎めない奴ら。元々向いてなかった上に、「33K」という香港の団体をモメて、“修ちゃん”という構成員以外はみんな足を洗ったばかり。

組長だった“ボス”は、探偵業を軌道に乗せたいが、「33K」から命を狙われているという噂にビクつく毎日。まだヤクザである修ちゃんが、「33K」の刺客を捕まえるべく雑居ビルに張り込みを開始。怪しいやつを捕まえてみると、なんとそいつこそ失踪中の新乃助でした。

スタンプ屋の金策に困った新乃助は、「33K」からボス殺しの依頼を受けてしまっていたのです。しかし、素人の新乃助はどうすることもできずウロウロしているところを修ちゃんに捕まってしまったという顛末です。

なんともバカバカしい「暗殺劇」であったことが分かり、無事 新乃助もスタンプ屋に帰り一件落着…というわけには、当然ながら行きません。

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おやっさんが倒れたことをキッカケに、“おやっさんの娘・栞”が登場。元々スタンプ屋とも繋がりがあり、探偵屋とスタンプ屋の架け橋的に動き回るのですが、ある日、おやっさんの荷物からトンデモナイものを見つけてしまいます。
実は、おやっさんは組を裏切り「33K」に情報を流すことでお金を稼いでいた内通者。それをボスに気づかれたと勘違いしたおやっさんは、「33K」にボスを殺させようとしていた張本人であることが分かるのです。

その後も、新乃助がただ巻き込まれた訳ではなく、実はおやっさんから家賃を半分にする代わりに探偵たちを盗聴する役割を与えられていたことなどが判明していきます。

若者たちが和気あいあいとしているスタンプ屋にも、薄暗い影が潜んでいたことが浮き彫りになってきます。

直後に修ちゃんも銃撃され、病院送りに。堪忍袋がキレたボスたちは、おやっさんを殺すために特攻を図ります。子供の頃からおやっさんのヤクザ稼業に反感を持っていた栞の協力も得て、武器を片手に突撃していくヤクザたちの姿から舞台が暗転。

エピローグとして、スタンプ屋の現状が語られます。
無事回復した修ちゃんがスタンプ屋におり、楽しげな雰囲気。しかし、どうやら探偵たちは無事には済まなかったようで、探偵屋は廃業している模様。 相変わらず新乃助は失踪しているものの、妹の“波留”も「お兄ちゃん離れ」をして、予てからの夢だった留学に行く準備を進めています。この波留が舞台で最も裏表がない人物なのですが、そんな彼女にも秘密がある…という匂いをさせて、舞台の幕が閉じていきます。

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裏切り者は誰だ?

ヤクザたちが無事でないのに、修ちゃんと栞が日常に戻れているのはおかしな話。つまり、修ちゃんと栞は「33K」と繋がったおやっさん側の裏切り者です。繋がりのないはずの修ちゃんと栞が、なぜか一緒に登場することが多かったことも頷けます。

新乃助が刺客のフリをした、スパイだったのはすでに言及したどおりですが、そうなってくると波留すら怪しい存在に。
新乃助が隣を盗聴していることも気付くはずですし、舞台のなかでは長時間トイレに入っている描写もありました。「トイレ掃除していた」と言い訳していましたが、新乃助の代わりに盗聴していたと考えれば合点がいきます。

そもそも金策に困っていたにも関わらず、このタイミングで留学に行けるのも不思議な話です。留学費は、コトが片付いた「33K」からもらった報酬と考えるのが自然ではないでしょうか?
天真爛漫なフリをしてヤクザたちをハメた波留に寒気を覚えます…。

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MONOらしい独特の「言葉づかい」や「間」や「登場人物」にほっこりした笑いが生まれるのですが、その裏でこんな凄惨な企みが渦巻いていることにゾッとします。

隣の芝生が青く見えるのは、隣のことをよく知らないからだ。
内情を知ってみると、結局「隣の芝生も」…。

「昔話デスマッチ」感想:柿喰う客

演劇空間の作り方

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あらすじとネタバレ

観劇三昧下北沢店の開店1周年を記念して行われた「路上演劇祭」。演劇ファンにはおなじみの、本多劇場横のヴィレッジヴァンガード前の路上で行われたお祭りです。

柿喰う客は寒さがこたえる夕方の出番。

風も強く、人通りも多く、周りもうるさいという、演劇としては劣悪な環境でどのような演劇を見せてくれるのか?という不安と期待を抱いた観劇でした。

内容としては「七味まゆみ」と「大村わたる」のデスマッチ。プロレスのような雰囲気でお互いに昔話を繰り出し、先に「めでたしめでたし」させた方が勝ちという奇想天外な闘い。
このムチャクチャな展開を、審判「加藤ひろた」と実況「田中穂先」がいい味出しながら支えます。

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桃太郎で攻める七味に対し、浦島太郎で守る大村。観客を巻き込みながら、ライブ感ある展開で路上は笑いっぱなし。

上手だな、と思ったのは「投げ銭」の受け取り方。
桃太郎の話を完結させるために、金銀財宝が必要になるのですが、それを観客からの「投げ銭」で賄おうとする荒業。演劇の流れに「投げ銭」を取り込むのは天才的な発想ですね。
昨今のSHOWROOMを始めとする「投げ銭ビジネス」の真逆を行くアイデアには感服しました。

 また、路上という環境を逆手に取り、観客に交ざった柿喰うのメンバーが“ガヤ”を飛ばすことで、プロレス会場のような雰囲気を作り出し、ちゃんと演劇空間を演出していました。

特に中屋敷法仁さんは、スーツに数珠を持ち、ストロングゼロを飲みながら煽ってくるという、フィクショナルなのに本当にいそうな、なんとも言えないキャラクターを演じていました。久しぶりに、舞台に立つ中屋敷さんもまた見てみたいな…。

ガードレールを、リングロープに見立てるなど、路上という環境をこれでもかとハックして、虚構を作り出す手腕はさすがの一言。
これが投げ銭だけで見られるのだから、大満足の30分でした。

今後も、ゲリラ的に市街劇とかやって欲しいなと。

「目頭を押さえた」感想:iaku + 小松台東

田舎者に爽やかな風が吹く

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あらすじ

山間にある人見村。衰退の一途を辿るこの村の林業と、この地で古くから行われてきた喪屋における葬儀。この2つの伝統を担ってきた中谷家と、8年前に都市から越してきた杉山家は親戚関係にあったが、杉山が葬祭コンサルタント業を人見村に持ち込んだことで、家族間の溝は深かった。ただ、同い年の高校生の娘たちは、子どもの頃から親友のような存在である。杉山の娘・遼は、母の形見である一眼レフカメラを愛用し、村に暮らす人たちのポートレートを「遺影」と称して撮影してきた。中谷の娘・修子は、遼の写真が大好きでいつも率先してモデルになった。そんな修子と遼が迎えた高校三年生の夏。この小さな田舎でセンセーショナルな出来事が起きる。それは、村に暮らす大人や子ども、すべての無名人たちの未来を、哀しみを伴う希望で包んだ。

全編関西弁で演じられていた舞台を、小松台東の演出で宮崎弁で再解釈した作品。
「方言」や「地方」にアイデンティティを見出す2つの劇団による共通点が、見事なコラボレーションを生み出していました。

<ネタバレ>ムラ社会の温かみと生きにくいさ

舞台のテーマは「田舎から去る者・残る者」の分断です。

杉山の娘「遼」は、高校生の写真コンクールで全国1位になったことをキッカケに、東京の美大への進学を志すようになります。
元々は妻の実家でしかない人見村で孤軍奮闘する杉山は娘の東京進学に猛反対。さらに、嫉妬も含めた複雑な感情を抱く従姉妹で親友の「修子」、村から著名な写真家が生まれる可能性に色めき立つ村人たちなど、様々な思惑が渦巻くことになります。

そこに女子高校生ならではの思春期の悩みも絡み、最初は温かい田舎暮らしに見えていた人見村も、“ムラ社会”として息の詰まる部分が見えてきます。

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遼を持ち上げる村の組合は、遼の個展を開こうと動きます。この取り組みの中心人物は修子の父親で、遼の叔父にあたる「中谷」。
中谷は村の伝統を守る使命を抱えながらも、遼の東京進学を後押しする懐の深い人物として描かれますが、跡取りである息子「一平」がゲームばかりで一向に独り立ちしないという悩みも抱えています。

そんなある日、決定的な事件が起こります…。

目頭を押さえるとは?

村の中心人物である「中谷」は、本職である林業の作業中に木から落ちて事故死します。伝統を重んじていた中谷のために、“喪屋(もや)”を使った葬儀が執り行われることに。

この“喪屋”の葬儀とは、小屋のなかに屍体とその跡取りが入り「目頭を押さえる」というモノ。林業が盛んだったこの地域では、木から落ちて死亡する人が多かった。その屍体は落ちた衝撃で目玉が飛び出てしまう。その“穢れ”を取り払うために、跡取りが文字通り「目頭を押さえて」目玉をもとに戻してあげる儀式である、ということが判明します。

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本来は現代的な葬儀を生業とする杉山ですが、人見村の村人として生きることを決意し、この伝統的な葬儀を自ら執り行います。嫌がる一平を無理やり“喪屋”に引き込む杉山は、絶叫しながらも一平と共に、この葬儀を完遂します。

そして、場面転換。
事故から半年先の話として、遼が東京へと旅立つシーンが描かれます。
そこには人間として成長した一平の姿も。

遼と修子とのわだかまりは完全には無くなっていないながらも、田舎を旅立つ者・田舎に残る者、両方に爽やかな風が吹き、幕が閉じます。

目頭を押さえたその先に

“喪屋”での葬儀とは、通過儀礼を意味しています。
おそらく、過去には跡取りが完全に独立する儀式として執り行われていたはずです。

ゲームばかりの一平はもちろんのこと、娘を自分勝手に縛り付ける杉山も、この儀式を通過していないため、どこか子供でした。

最後のシーンで杉山の登場はありませんでしたが、遼が東京に進学することを許していることからも、杉山も一平と同様に成長していることが分かります。

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 なかなか表現しにくい、「田舎の温かさ」「その裏に潜む生きにくさ」を見事に描ききっています。だからこそ、そこを旅立つ人にも残る人にも、希望が見えるのだと思います。静かにココロを打つ、傑作でした。

 

iakuの舞台は『エダニク』しか観たことなかったのですが、『目頭を押さえた』もそれに匹敵するほどの完成度。地方の劇団だからこそ表現できる可能性を存分に見せつけられました。これからもチェックしていきたいと思います。

「俺を縛れ!」感想:柿喰う客

 キャラクターを剥ぐ行為の先に…

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あらすじ

2008年に“黒歴史的娯楽大作”として上演された作品の10年ぶりの再演。

幕府の大御所・徳川吉宗が大往生を遂げたことをきっかけに
悪名高き将軍・徳川家重は奇妙な難題を諸大名に突きつける!

横暴な幕府にも、心を削り身を削り一途な忠義を貫き通すのは
「三度の飯より主君が命」を信条とする弱小田舎大名・瀬戸際切羽詰丸!

その過激な滅私奉公は、やがて天下を揺るがす大騒動に発展する!?

久しぶりの徹頭徹尾エンタメで、濃密な笑いを届けてくれる舞台です。
主演の永島敬三さんは、10年前のこの舞台のオーディションに落ちたときから「柿喰う客」との関わりが始まったというから、なんとも因縁めいたモノを感じます。
近年では、柿喰う客の顔になりつつある永島敬三さんの進化っぷりも存分に満喫できる舞台となっています。

<ネタバレ> 裏切れないので、裏切ります。

日本一有名な忍者・服部半蔵は、実は忍者集団が代々名前を受け継ぐ襲名スタイルを採用しており、それが現代まで続いているという設定が導入されています。

代々「服部半蔵」というキャラを押し付けられて、それを守ってきた集団において、過去に一人だけ個性を許された「33代目服部半蔵」の話として、舞台の幕が上がります。

33代目が仕えたのは、頭の病で身体までおかしくなってしまった徳川家重
彼は「キャラお定めの令」を発令。諸大名に強制的に“キャラ”を振り分け、そのキャラを演じないと死罪にすると悪法です。

諸大名たちは、「ドスケベ大名」「モノマネ大名」「ラーメン大名」など荒唐無稽なキャラクターを演じさせられます。
この時、役者はアドリブ的な対応を見せることがあり、役者として“演じる”ことと、大名として変なキャラを“演じる”ことが、多層的に絡み合っていきます。

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そんな悪法の最大の被害者は、永島敬三さん演じる田舎の貧乏大名「瀬戸際切羽詰丸」です。
彼は「三度の飯より主君が命」という侍バカ。そんな彼はあろうことか「裏切り大名」というキャラを設定されてしまいます。1ヵ月以内に幕府に対して謀反を起こすことを強制されてしまうのです。

幕府を裏切らないと、お上に楯突くこととなり、裏切ったら裏切ったでお上と戦うことになる。そんなトンデモナイ状況に追い詰められていくのです。

キャラクターが染み付いてしまう瞬間

貧乏大名の切羽詰丸は、戦コンサルタントの「族谷軍兵衛」の助けも借り、謀反の準備を進めていきます。「(アソコが)ちっちゃい大名」という不名誉なキャラに不満を持ち、本気で幕府を“裏切る”ことに決めた「浦見深左衛門」も仲間に加わり、幕府と戦えるだけの戦力が本当に集まってしまいます。

このあたりから、切羽詰丸はキャラとしての「裏切り大名」ではなく、本気で天下取りを考える「裏切り大名」となっていきます。
この変化は、何かのキッカケがあるわけではなく、それこそ学校や職場で「キャラが定着する」ように、自然と馴染んでいきます。

アフタートーク永島敬三さん自身も「どこで裏切り始めるのか自分でも分からずに演じている」と仰っていたのは、興味深いです。

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結果、切羽詰丸の謀反は成功し、徳川家重を追い詰めます。
しかし、徳川家重が悪名高い将軍を“演じて”おり、すべて息子の「徳川家治」を引き立てるための“演技”であったことが判明します。
本来は忠義心に篤い切羽詰丸が、この話に感動している最中、切羽詰丸は息子である「瀬戸際勝々丸」に“裏切られ”て殺されます。

そして後日談。
「キャラお定めの令」が無くなったことで、33代目服部半蔵も自由に生きていくことを認められます。しかし、服部半蔵というキャラが無くなった彼は、その後すぐに亡くなってしまうのでした。

「キャラなんていらない。個性的に生きれば良い」という教訓めいたメッセージを発信した途端に、「ある程度“縛り”がある人生の方が楽である」というもう一つの事実を突きつけてくるのでした。

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キャラの下に、本当の自分なんていない

カーテンコールの前に、永島敬三さんが裸で登場するというドタバタがあり、幕が閉まります。
この時、観客は俳優・永島敬三がフザケているようにしか見えません。実際、田中穂先さんも「敬三さん、服着てください!」と役名ではなく、名前で呼んでいます。

しかし、この俳優・永島敬三も、台本通りに“演じられた”役であることは明らかです。そもそも、永島敬三さん自身がやっていたとしても、それは「柿喰う客の舞台に立つ永島敬三」というキャラクターを演じているわけです。

与えられた役である大名に、さらに劇中でキャラクターを割り当てたのと逆に、与えらた役が終わっても、まだキャラクターが存在することを表現しているのだと思います。

キャラクターの下にいるのは「本当の自分」などではなく、「別のキャラクター」が潜んでいるだけである。自分に置き換えて考えてみると…。

このドタバタ劇によって最後の「“縛られる”人生の方が楽である」というメッセージが、より鋭利になって観客に突きつけられます。

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エンタメ色が強い本作でも、虚構とリアルの境界線を曖昧にして、どこか居心地の悪い感覚を植え付けてくるのは、さすが柿喰う客。
劇団員が増えたことで、ストーリーラインもがっちり固まっており、本公演らしい仕上がりになっていました。

意外だったのは、「族谷軍兵衛」を演じた神永圭佑さんや、「浦見深左衛門」を演じた平田裕一郎さんの存在感。演技もうまく、舞台に爽やかな空気を呼び込んでおり、かなり効果的に効いていました。
2.5次元系の俳優さん”と侮っていましたが、認識を改めました。

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 残すところ、あと8ステージですが、少しでも興味がある方はぜひ本多劇場へ。
演劇が初めてという方にもオススメです。

 中屋敷法仁さんが演出した2.5次元系舞台はこちら

「残雪の轍/キャンディポップベリージャム!」感想:シベリア少女鉄道

ダイレクト因果応報

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あらすじ

いつも通りのシベリア少女鉄道なので、あらすじと呼べるようなモノは存在しないのですが…。

戦国時代風の時代設定のなか、伊賀と甲賀に分かれて闘うことになってしまった忍の話。エビ中安本彩花さん、元℃-ute中島早貴さんが友人でありながら闘わなければならなくなった因果が、現代を生きる子孫にまで影響してしまう…。

という内容の舞台。
(こう書くと、とてもマトモな舞台に感じますが)

この設定を「これでもか」とハックしまくって、ピタゴラスイッチ的な構造に仕立て上げてしまう。
土屋亮一さんの変態性が全開です。

<ネタバレ>ダイレクト因果応報

今回仕掛けられた「シカケ」は、“因果応報” がダイレクトに子孫を直撃してしまう、というモノ。

どういう事かと言うと、
「前世の親がマグロを食べれば、摂取したDHAの影響で子孫のIQが200を超える秀才になる」「前世の親が田舎に隠居すれば、子孫も田舎っぺになる」など、先祖の影響をダイレクトに受けてしまい、それによって舞台がドンドン変化します。

女子寮で繰り広げられていた恋愛ドタバタコメディが、トランプ VS. 金正恩 にまで発展し、最終的には「物の怪の館」にまで変化します。
(ほんと何言ってるか分からないと思いますが) 

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メインキャストである安本彩花さんをトランプに、中島早貴さんを金正恩にしてしまう狂気性は演劇でしか見れないと断言できます。アイドル✕タブーで、ここまで美味しく仕上げてしまうのは、アイドルを使うのがウマい土屋亮一さんならでは。

因果は暴走し、カッパが出てきたり、豚が出てきたり、巨大化した半獣人が出てきたり、これどう収束させるの?という所まで展開した途端、少年ジャンプを代表する「ド◯ゴンボール」のBGMが流れてきて、伏線を一気に回収していきます。

どうやったらこんなこと思いつくの?という感動すら込み上げてきた場面で幕を閉じます。

 

今回は、いつもの「赤坂レッドシアター」から場所を移し、巨大な「池袋サンシャイン劇場」での公演でした。そのためか、いつもよりネタを早めに展開している印象がありました。

いつもなら1時間くらい観客を焦らしに焦らして、一気にオチに持っていく展開なので、今回はカタルシスは弱め。それでも十二分にキモチイイのですが。

次回は小さめのハコで、大暴れして欲しいなと。

土屋亮一さんが演出したエビ中の舞台はこちら↓
アイドルの使い方、お見事です。

「ちょっと、まってください」感想:ナイロン100℃

ペテン師は死なねばならないのか?

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あらすじ

ケラリーノ・サンドロヴィッチが自称するように「不条理喜劇」なので、あらすじに大きな意味はないのですが、話の“スジ”としては以下のような感じ。

「金持ち一家」に「乞食の家族」が侵入してくる物語。
「乞食の妹」は、「金持ちの息子」と、その「婚約者」が演じる“ままごと”に無理やり割り込み、そのまま「金持ちの息子」の嫁の座を勝ち取ります。しかし、それも束の間、今度は「金持ちの父親」の妻の座に居座り、「金持ちの母親」を家から追い出します。「金持ち一家」の親戚になった「乞食の家族」は、当然のように“金持ちの家”に居座るようになり…。

辻褄もロジックも合わない世界で、繰り広げられる「断絶」の物語。
別役実的「不条理劇」とケラリーノ的「ナンセンス」を行ったり来たりすることで、不穏な空気を生み出しつつ、観客が笑い続けるという、なんとも新しい舞台です。

<ネタバレ>ペテン師はなぜ死んだのか?

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時間軸や因果律を無視しながら、状況だけが目まぐるしく変化。辻褄を合わせようと見ていても、どんどん置いて行かれます。しかし、観客に思考停止させないシカケもあり、それが余計に不穏な空気を生み出しています。

それが「不条理」な状況に対して、困惑している登場人物が常にいる、ということ。

まるで観客の気持ちを代弁するように、起きている状況が飲み込めず右往左往する人物が常に設定されています。ただし、そんな彼らも時間が経つと状況に馴染んでおり、観客を混乱させる急先鋒になっていたりする…。その積み重ねが、舞台の世界観を作り上げます。

しかし、そんな世界のなかで、唯一観客側に立つ人物が、ペテン師を自称する「使用人」の男。彼は“第四の壁”を突破して、度々観客に状況を説明する狂言回しの役割も担っています。

この物語の結末は、ペテン師が死ぬことで幕を閉じます。
なぜ、ペテン師が死ななければならなかったのか?ここに舞台のポイントがあるような気がします。

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「ペテン師」が、「金持ち一家」の金を横領して逃げようとする場面がクライマックス。罪をなすりつけられた「金持ちの父親」が冤罪で処刑されそうになるのですが、最後の最後に「ペテン師」の嘘がバレ、なぜか共犯のはずの「メイド」にナイフで刺されて死亡。しかし、それは「ペテン師」の見た夢だったのですが、目覚めた「ペテン師」は「乞食の妹」が暴発させた拳銃の玉が当たり、やっぱり死亡。しかししかし、「メイド」が犯人ということで逮捕され、死にかけの「ペテン師」だけを残し、みな舞台を退場していきます。

ここでは、“誰が殺した”ということは意味がなく、“なぜ殺される”必要があったのか、が重要だと思います。

「ペテン」とは、つまり「虚構(フィクション)」。最後の最後に「虚構」が敗れた、というのが「ペテン師」の死によって表現されているのではないでしょうか?
登場人物が別役実ばりに「男1」「男2」という名前のない配役になっているにも関わらず、「ペテン師」と「メイド」だけには名前が設定されているもの、いかにもです。

では、何に「虚構」は破れたのか?それは「現実」です。
そもそも「現実」とは「不条理」なもの。
つまり「不条理劇」の正体とは、ままならない「現実」を映し出している鑑のようなモノであり、「ペテン師(=虚構)」は「不条理劇(=現実)」に破れたのです。

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実際に、フィクションが現実に追い越されてから長い時間が経っています。そんな時代に「フィクション」ができることはなにか?は演劇の大きなテーマだと、勝手に思っています。

だから「ペテン師(=虚構)」は銃で撃たれながらも「(自分が)いるのか、いないのか、分からない」と言いながら、死んでいくのでしょう。

 「ペテン師」の屍体の上に、「消毒液の雪」が降り注ぐシーンで幕が閉じます。ここにケラさんの「虚構」に対する態度表明のようなモノを感じました。

「“現実”に敗れ去った“虚構”は、一度リセット(=消毒)してしまうしかない」。

別役実をオマージュすることで、自らに取り込んだケラさんは、この後どんな「“現実”を超える“虚構”」を見せてくれるのでしょうか?
(それまでは、「ちょっと、まってください」てことかも…)

無粋にも批評的に捉えるなら…

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「不条理劇」なので、見たまま・感じたままを愉しめばいいのでしょうが、あえて解釈を入れたい箇所がひとつありました。

それが、度々登場する「市民運動」というモチーフ。
町では「賛成派」と「反対派」が抗争を繰り広げているのですが、“何に”賛成/反対なのかは語られません。参加している市民も“何に”賛成/反対なのかを理解していません。
しかし、「賛成派」と「反対派」は交わることがなく、挙句の果てに「中立派」まで登場する始末。

舞台を通して語られる「断絶」や「分かり合えなさ」を強化するアイテムであることは間違いないのですが、その批評性は現代日本にも届いている気がします。

この無意味な抗争は、ネットに蔓延る「ネトウヨ」的想像力と、「文化左翼」的想像力の闘いそのものに見えてきます。とりあえず「賛成」or「反対」の立場を取り、その姿勢を表明すること自体が“生きる糧”になっている人々。その行動は、「不条理劇」と同じく状況には何も影響を及ぼせません。本人たちは“何に”賛成/反対なのか分かってないのだから。

そう考えると、なんともケラさんらしい、毒たっぷりの皮肉に見えてきます…。

 

 

「不条理劇」と聞くと、尻込みする人も多いかと思います。個人的にも、あまり得意ではないです。
ただ、そこはナイロン100℃。「不条理劇」なのに爆笑できる、最高のエンターテイメントに仕上げてくれています。

左脳が置いて行かれても、右脳では愉しめる。
いま、ナイロン100℃でしか見れないと断言できる舞台でした。 

 

 ナイロン100℃の前作「社長吸血記」

別役実の戯曲集はこちら↓