郵便配達は二度チケットをもぎる

演劇未経験者が、駄文をこねます。

「プレイヤー」感想:前川知大&長塚圭史

“劇中劇”と“現実”と“リアル”の入れ子構造

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★★★★★★★★☆ 9点

あらすじ

舞台はある地方都市の公共劇場、そのリハーサル室。国民的なスターから地元の大学生まで、様々なキャリアを持つ俳優・スタッフたちが集まり、演劇のリハーサルが行われている。
演目は新作『PLAYER』。幽霊の物語だ。死者の言葉が、生きている人間を通して「再生」されるという、死が生を侵食してくる物語。

<行方不明の女性、天野真(あまのまこと)が遺体で見つかった。死後も意識として存在し続けることに成功した彼女は、友人達の記憶をアクセスポイントとして、友人達の口を借りて発言するようになっていく。事件を追っていた刑事、桜井を前に、天野真を死に導いた環境保護団体代表であり瞑想ワークショップの指導者、時枝は、これは世界を変える第一歩だと臆面もなく語る。死者との共存が、この物質文明を打開するだろうと。カルトとしか思えない時枝の主張に、桜井は次第に飲み込まれてゆく。>

物語は劇中劇と稽古場という二つの人間関係を行き来しながら進んでいく。
死者の言葉を「再生」することと、戯曲に書かれた言葉を「再生」することが重なる。単なる過去の再生ではなく、今を生き始める死者と、戯曲の言葉に引き寄せられ、アドリブで新たな言葉を紡ぎ出す俳優が重なる。
演じることで死者と繋がった俳優達は、戯曲の中の倒錯した死生観に、どこか感覚を狂わされていく。生と死、虚構と現実の境界が曖昧になっていく。時枝の狂った主張は、桜井の選んだ行動は、リハーサル室でどう響くのか。

劇中劇『PLAYER』は前川知大の「イキウメ」で2006年に上演されている。
当時から話題になったこのサイコホラー舞台をベースに、新しい戯曲を作り上げ、長塚圭史が演出するという趣旨の話題作である。

ざっくり感想

「あらすじ」からも分かる通り、劇中劇と現実の境目が曖昧になり、いま見ているのが“劇中劇”なのか“現実”なのかが分からなくなる、というのが味噌。
“劇中劇”だと思って安心して見ていると、突然ある登場人物が“劇中劇”を揺るがすような発言をし、さらに混乱させる…なんてことが頻発するため、一言も聞き漏らせない緊迫感があります。

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さらに“劇中劇”と“現実”と書いてますが、この“現実”すら実は演じられているモノなのではないか…という疑問が後半に生まれてくるシカケになっており、“劇中劇”と“現実”とさらに“リアル”が入れ子構造になって、怒涛の展開に突入していくことになります。
まるで「インセプション」ですね。

<ネタバレ>時枝は死んだのか?

“劇中劇”のラストで、新興宗教のカリスマである時枝は高橋努演じる警察官に撲殺されます。
ただし、“劇中劇”が終わっても時枝はピクリとも動きません。このシーン、時枝は“現実”でも死んでいるのか、というのが舞台最大の謎として残ります。

その鍵は、「血糊のバット」と「市長」が握っていると思います。

●「血糊のバット」
警察官が時枝を殴り殺したバットには、べったりと血が付いていました。そもそも“劇中劇”は稽古中だったわけで、ただの稽古に血糊まで使う必要はないはずです。これは本当の「血」だったということではないでしょうか。

●「市長」
この舞台には完全に外部の人間として「市長」が登場します。“劇中劇”には関与せず“現実”パートのみに登場する市長は、仲村トオルを「時枝悟」とフルネームで呼びます。
この舞台では、“劇中劇”の役名は苗字/“現実”の俳優は下の名前で呼び分けられているのですが、時枝のみ“劇中劇”でも“現実”でも「時枝悟」です。

つまり、彼は劇によって分けられた存在ではなく、すべての次元で共有された一つの人格ということになります。

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“劇中劇”で死んだ彼は、“現実”でも死んでいるというのが妥当だと考えます。

では誰の意思が、彼を殺したのか?
ここからは推測でしかありませんが、『PLAYER』の作家が殺したのではないでしょうか。
“劇中劇”である『PLAYER』は作家の不審死によって、未完成となっています。プロデューサーは稽古のなかで、俳優たちを「プレイヤー」として作家の声を再生し、『PLAYER』の脚本が完成することを狙っています。

時枝悟の死は、台本のまだ書かれていない「先の展開」にリンクすることを考えると、俳優を「プレイヤー」とした作家の声が時枝悟を殺害したと考えられます。

作家の不審死に、時枝悟が関わっているのかどうかは不明ですが、作家と旧知のなかである演出家やプロデューサーが「悟」を「時枝」に配役したのには意図を感じます。
※実際に「悟」は”現実”でも瞑想などを行っており、思想も謎めいています。

藤原竜也演じる「桜井」がプロデューサーに向かって、「この戯曲、ネットで公開してよね」と語り、幕を閉じることになりますが、このセリフからして、作家も物語の結末に満足していることでしょう。

完成された戯曲がネットに公開されることで、どんな「プレイヤー」たちに演じられ、その結果どのような自体が発生するのか。そんな不気味な余韻を残して終わっていきます。

 

イキウメらしい部分も多いのですが、やはり長塚圭史節が炸裂しています。
特にラスト30分の展開は圧巻。
普段は感じにくい「演出家」の役割を、嫌というほど見せつけられます。

できることなら、シアターコクーンのような大きな舞台ではなく、小劇場のような所で再演して欲しい。そんな作品でした。