「働けど働けど」感想。:カジャラ
働く姿の滑稽さ
★★★★★★★★★☆ 9点
概要
ラーメンズ小林賢太郎が作・演出を手がけるコント公演「カジャラ」。
その第三弾にあたる「働けど働けど」。
俳優・お笑い芸人・劇団人、いろんな血筋を入れながら独特の世界を作り出す唯一無二の舞台です。
<ネタバレ>感想
あくまでコント公演なので、それぞれ独立した短編になっているのですが、本公演は一貫して「労働」について語り続けます。
特に、カジャラはコントとコントの間の“幕間”もあえて見せる演出をしており、全体で世界観を醸し出しています。
今回のテーマに当てはめてみると、“幕感”も役者が「働く」姿を描いています。
そういう意味でも、とても「演劇的」なのに、ひとつひとつは徹頭徹尾コントになっており、それがスゴい…。
どのコントも「働くことの滑稽さ」を描いているように感じました。「働くこと」にもがき続けるおじさん達の姿が、笑いを誘います。カジャラは毎回そうですが、女性がいないことも、滑稽さを助長しています。
しかし、「働くおじさん」たちを愛する視線が常に存在しています。そのことが、どこか哀愁を漂わせています。
特に公演名にも採用されている石川啄木の「一握の砂」をモチーフにした、小林賢太郎の一人コントは秀逸。
「働けど働けど〜」と、「われ泣きぬれて〜」というあまりにも有名な短歌をモチーフに、海辺で砂の城を作るサラリーマン。砂の城は完成するたびに“丸いもの”に壊されてしまいます。作っては壊され、作っては壊され…。
しかし、ある時“丸いもの”では壊せない砂の城が完成します。曰く「壊れるたびに土台が強くなっているから」。
サラリーマンは“丸いもの”を慈しむようにした後、せっかく作った砂の城を自らの手で壊します。さらに前に進むために…。
おそらく小林賢太郎の「労働に対する考え方」が表現されているのでしょう。作っては壊され、作っては壊され、気づけば周りから一定の評価を受ける場所まで来たが、さらに高みを目指すために、壊し続けていくのでしょう。
自らの紹介にも記載していますが、「芸人名<自分が作ったコント」を目指す小林賢太郎にとって、「一握の砂」は「作家名<短歌」になっている大きな目標なのかもしれません。
カジャラの舞台は「大人たるもの」がYoutubeでも公開されています。これを見て、ぜひ劇場でも体感してみてください。