郵便配達は二度チケットをもぎる

演劇未経験者が、駄文をこねます。

「蛸入道 忘却ノ儀」感想:庭劇団ペニノ

演劇的トリップのお祭り

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★★★★★★★★★☆ 9点

あらすじ…と言うか概要

まず、控室のようなスペースに通され、そこで御札に名前と願いを筆でしたためます。

その後、スタジオに案内されるのですが、舞台はお堂。舞台上にお堂が再現されているわけではなく、部屋全体がお堂になっています。座席は指定されておらず、各々が好きな場所に腰をおろします。入り口では“経本”と“楽器(鳴子や鈴)”を渡されます。

まるで宗教儀式に巻き込まれたような気持ちで開演を待つのですが、まずは主宰のタニノクロウが説明を行います。

この舞台は、
・“経本”に記載されている第十六節の内容に従って展開される
・“楽器”は好きな時に鳴らしてOK
・舞台中央に設置された護摩壇には火が付き、部屋はどんどん暑くなる

という、およそ演劇らしからぬ注意が促されます。

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曰く、「タコは、心臓が3つ、脳が9つある」高度な生物であり、その進化の過程はいまだに謎が多いのだそう。いつか、人間とタコがひとつの生命体に近づいていくのではないか?そんな不気味なことを言いつつ、タニノが退場。いよいよ儀式が始まります。

<ネタバレ>なにを“忘却”する儀なのか?

お堂の真ん中に、赤い服を来た演者たちが登り、第一節から始まっていきます。観客たちも“経本”をめくりながら、時に読経し、時に楽器を鳴らし、儀式に参加します。途中で、板を取り付けたり、水が配られたりと、もはや自分たちが観客であることは、忘れ去られていきます。

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儀式は時間が経つに連れ、どんどんエスカレート。護摩の煙を吸い込みながら、楽器をかき鳴らす姿は、完全にトランス状態。部屋の暑さ・匂いを観客もダイレクトに感じるため、そのトランス状態は他人事ではなく、こちらもドキドキしてきます。“経本”の内容も意味不明な銀紙だけのページが続いたり、頭で理解することを放棄せざるを得なくなります。いよいよトランス状態が限界に達した時、演者たちはおもむろに退場。ふっと我に返され、圧倒的な舞台芸術のなかに取り残されるのでした。

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まず、観客を没入させるシカケの数々に圧倒されるのですが、なかでも“経本”の存在がピカイチでした。アイテムとして面白く、舞台を円滑に進める要素が大きいのですが、「第十六節」で終わると明示していることも重要だと感じます。ほぼストーリーがなく、淡々と進む儀式のため、終わりが見えないと正直見ていられない気がします。「これがいつまで続くのか…」が気になり舞台に没入しきれなかったかなと。

 

通常、演劇は観客に2つの視点を持たせることになります。例えば「100年後の未来」を描いた作品の場合、①「100年後の未来」を描いた舞台を観る観客としての視点、②「100年後の未来」のなかで動き回る登場人物の視点、が存在することになります。
しかし、この「蛸入道 忘却ノ儀」に関しては、観客固有の1つの視点しか存在しません。そう言う意味で、とても“反・演劇”的だと感じつつ、演劇を見ていることを“忘却”するという観劇体験は、ある意味“究極の演劇”だとも思います。

たまたま水がドバドバかかる場所に座っていたのですが、終盤「水をかけられる」ことを観客としてではなく、この儀式に参加する人物として受け入れていました。友人と観劇していたのですが、これは一人で参加した方がより恐ろしい体験だったかと…。

 

岸田國士戯曲賞を受賞した直後に、こんな演劇をブチ上げてしまう変態性に感動しつつ、ペニノからいよいよ目が離せなくなってしまいました。

 

岸田國士戯曲賞を受賞した「地獄谷温泉 無明ノ宿」の戯曲はこちら
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